大阪高等裁判所 平成5年(う)574号 判決 1994年8月31日
主文
本件各控訴を棄却する。
理由
(本件各控訴の趣意および答弁)
本件各控訴の趣意は、弁護人大槻龍馬、瀧賢太郎、天野実共同作成の控訴趣意書および検察官の職務を行う弁護士(以下、検察官という)三上孝孜、森下弘共同作成の控訴趣意書記載のとおりであり、弁護人らの控訴趣意に対する答弁は、検察官両名共同作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。
(弁護人らの控訴趣意について)
論旨は、原判決は、大阪府曽根崎警察署に勤務する警察官である被告人が、同署六階会議室(以下、会議室という)において、甲に対し、右平手で同人の左側頭部を殴打する暴行を加えて、加療約一四日間を要する左外傷性鼓膜穿孔の傷害を負わせたという事実を認定したが、被告人は、甲に対し一切暴行を加えていないにもかかわらず、被告人および会議室にいた警察官らの各供述を信用せず、甲およびその友人である乙の各供述の方を信用して、右の事実を認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるというのである。
所論にかんがみ、記録および原審で取り調べた証拠を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せ検討するに、原審で取り調べた証拠を総合すれば、以下に説示するとおり、原判決の事実認定は、その補足説明の項において説示するところも含めて、後記のとおり一部を訂正するほかは、おおむね正当として是認することができる。
一 まず、関係証拠によれば、以下の事実を認めることができる。
原判決の補足説明の項の一1のとおり、昭和六〇年のプロ野球セントラル・リーグのペナントレースおよび日本シリーズにおいて阪神タイガース球団が優勝したことに伴い、同球団のファンやこれに同調する群衆が、リーグ優勝が決まったころから、大阪市北区梅田付近や浪速区難波周辺の街頭に多数集まり、優勝祝と称して騒ぎ、特に日本シリーズでの優勝を果たした同年一一月二日以降は、優勝騒ぎが大きくなり、車両の通行を妨害したり、車両を損壊したり、けんかをするなどの悪質な不法事犯も多数生じていたことから、梅田界隈を管轄する大阪府曽根崎警察署においては警戒体制をとっていた。甲と乙は、同月四日午後八時ころから一緒に飲酒しているうちに、梅田地区における街頭での祝勝騒ぎを見物し、それに参加することを相談し、午後一〇時ころ、乙が運転する乗用車に甲が同乗して出掛け、午後一〇時三〇分過ぎころ、梅田に着き、ナビオ阪急前の交差点で信号待ちのため停止した。同人らは、乙が阪神タイガースの応援用の法被を着、甲が同球団の帽子を被ったうえ、その乗用車の車体に同球団の旗を三本付け、カーステレオで同球団の応援歌である「六甲おろし」を流しながら走行するなどしていたため、折から警戒のため付近を警らしていた同署直轄警ら隊所属の巡査である被告人、HおよびBから職務質問を受け、同署へ任意同行されて、午後一〇時五〇分ころ会議室に入った。その後、翌五日午前零時ころ、甲と乙は、電話連絡を受けて身柄引受のため同署へ出頭した乙の両親に連れられて帰宅した。甲は、同日、勤務先のガソリンスタンドに出勤したが、午前中で早退して行岡病院へ行き、まず整形外科で診察を受けて、頸椎捻座と診断され、次いで耳鼻科で診察を受けて左外傷性鼓膜穿孔と診断された。
そして、関係証拠を総合すると、甲は、曽根崎警察署へ任意同行されるまでは、頸椎捻挫や鼓膜穿孔の傷害を負っていなかったことが認められ、かつ、同署へ到着してから会議室へ行くまでの間および会議室を出てから翌日行岡病院へ行くまでの間に、何らかの傷害を負ったことも認められないから、同人が、頸椎捻挫と左外傷性鼓膜穿孔の傷害を負ったのは、会議室にいた間であると認められる。
二 甲が右各傷害を負った原因およびその前後の状況についての甲らの供述と被告人らの供述
1 甲は、原審公判で、原判決が補足説明の項一2で判示した内容に沿う供述をしており、乙も、これと符合する供述をしているところ、甲の供述によれば、同人が負傷した前後の経緯は、次のとおりであるというのである(以下、甲と乙の各供述を一括して掲げるときは、甲らの供述という)。
会議室に入り、甲と乙は、持参した阪神タイガースの応援用具等を置いた机の前の椅子に座らされ、被告人が、机の上のラッパ型メガホンを手に取り、「お前ら、何しに来たんじゃ」などと怒鳴りながら、机越しに乙の頭頂部を一〇回位殴打し、続いて甲の頭頂部を五、六回殴打した。その後、背後から、前に出て正座するよう言われたため、甲が、前に出、前方に立っていた被告人からも、正座を命じられたのに対し、膝を怪我しているため正座できない旨言ったところ、被告人は、「お前、なめてんのか」と怒鳴りながら、右平手で甲の左耳付近を強く殴打し、更に、同人の両肩付近を掴み、右足で同人の右足を刈って、柔道の大外刈りのような技をかけて、その場に同人を投げ倒したというのである。
2 他方、被告人は、甲に対し、その左耳付近を平手で殴打したことはもとより、メガホンで殴ったり、投げ倒すなどの暴行を加えたことを否定する供述をし、被告人および会議室に居合せた曽根崎警察署直轄警ら隊所属の警察官であるH、B、F、I、Jは、いずれも互いに符合する供述をしているところ(以下、被告人とこれらの警察官の各供述を一括して掲げるときは、被告人らの供述という)、被告人らの供述を総合すれば、会議室での甲らの状況は以下のとおりであったというのである(なお、被告人ら警察官は、本件につき、公判および付審判請求事件において被告人あるいは被疑者もしくは証人として供述し、甲が大阪府を被告として提起した損害賠償請求事件においても証人として供述したほか、上申書あるいは報告書を作成しており、これら各供述は、同一人についてみても、その内容が微妙に違っている部分がないとはいえないのであるが、その多くは、尋間者や、質問の仕方が異なるためや、時間の経過に伴うやむをえないものと認められるから、この判決においては、それぞれの供述を、事件等により区別せず一括して単に供述という)。
被告人ら警察官は、甲と乙に対して、運転免許証の確認、飲酒検知、阪神タイガース優勝に伴う騒ぎに関する事情聴取等をするつもりで、曽根崎警察署へ任意同行し、祝勝騒ぎに伴う違法事案等の処理をすべき場所と指定されていた会議室に入り、まず、乙に、同人運転の自動車から持って来させた阪神タイガースの応援用具等を、最前列の机の上に並べさせ、その机の前の椅子に座らせた。同人は、終始うつむいたままで元気のない様子だったので、被告人は、気を楽にさせようという気持ちから、「元気ないやないか。正直に言うたらええねん」と言いながら、机の上にあったバット型メガホンを持って、乙の頭に軽く二、三回当てた。しかし、その際、被告人が、ラッパ型メガホンで力一杯一五、六回殴ったということはない。甲は、会議室に入るとすぐ便所へ行き、戻って来たので、被告人ら警察官が甲に対し、乙の隣の椅子に座るよう言ったところ、なかなか座ろうとせず、説得したり、Bが肩に手を当てて促すなどして、やっと座らせた。甲は、目がすわり、興奮している状態で、首筋が赤く、酒の臭いもしていて、酒に酔っている様子だった。同人は、年齢を二〇歳と言うだけで、住所氏名を言わず、運転免許証も持っていないと言っていたが、同人が携帯していたバッグの中身を出させ、その中にあった財布を開けさせたところ、運転免許証が出て来たので、被告人は、「免許証持ってるやないか。何で嘘ばっかりつくんや」と言いながら、手にしたバット型メガホンを甲の頭に二、三回軽く当てた。その際、ラッパ型メガホンで五、六回力一杯殴ったということはない。それから、被告人は、甲に対し、飲酒喫煙について注意し、飲酒場所や阪神ファンなのかなどについて尋ねたところ、同人は、「俺は巨人ファンや」と答え、何度も座り直したり、大きく息をついたり、首を回したり、腕組みするなど、落ち着きのない、反抗的な態度を示していた。そして、被告人が、阪神ファンでもない者が、阪神の優勝に浮かれて、どこでただ酒でも飲んで来たんやというようなことを言ったところ、甲は、立ち上がり、「飲んでへんわい」と言いながら、机を回って前に出て来た。被告人は、甲の肩に両手を当て、「何を興奮しておるんや。ちゃんと椅子に座っとけ」と言ったが、同人が、なおも、少し前かがみになり、胸で押すようにして前に出て来るため、そのまま二、三歩後ろへ下がり、後方に演壇があるので、同人と被告人の位置を入れ替えようと考え、甲の両肩に手を当て、押し返して体を入れ替えようとしたところ、同人が、その場でストンと尻餅をついた。被告人や他の警察官が、甲に対し正座を命じたことはないし、被告人が、甲の左耳付近を右平手で叩いたことも、腰を同人の体に接触させたり、足を同人の足にかけ、あるいは刈ったりしたということもない。被告人は、甲が前に出て来るのは挑発だと感じ、日頃から、挑発には絶対乗ってはならないという教養を何回も受けていたので、実力で制止しようとはしなかった。会議室にいたF巡査部長は、甲が被告人を押して行き尻餅をついたのを見て、被告人に甲から離れるよう指示して、自分が、甲のそばへ行き、どうしたのか尋ね、同人が、膝に怪我をしていると言うのを聞いて、同人のズボンの裾を上げさせ、左膝に古い傷跡があるのを確認して、同人を元の席に座らせた。この間に、被告人は、乙に質問をしていたが、甲が元の席に戻ったことから、両名を離して事情を聞いた方が良いと判断し、乙を立たせて演壇のそばへ連れて行き質問を続けた。他方、元の席に戻った甲に対しては、Bが、飲酒の有無について質問し、甲が、飲酒したことを否定することから、Bは、乙の所に行き、同人から、甲と一緒に飲酒したということを聞き出したうえ、再度甲に飲酒したことを問い質すべく、同人に「やっぱり飲んでいるやないか。何で正直に言うてくれへんのや」などと話し掛けながら近付いたところ、同人が、急に立ち上がり、Bの方に「飲んでへんわい」と怒鳴りながら向かって来たので、びっくりするとともに、頭突きされると思い、とっさに身をそらし、左手を払うように振ったところ、その手の甲が甲の左耳付近に当たった。
被告人らの供述は以上のとおりであって、これによれば、被告人はもとより、警察官の中には、誰も甲に対して故意に暴行を加えた者はいないというのであり、同人の左外傷性鼓膜穿孔の原因としては、Bが、びっくりして振った左手の甲がたまたま当たったことしか思い当たることがないというのである。
三 そこで、甲らの供述と被告人らの供述について、その信用性を検討する。
1 所論は、甲は、もともと警察官に対し理由のない強い反感を常に抱いていたところ、甲と乙は、飲酒運転の事実等により警察官から補導されたことについて、保護者から叱責されるのを恐れ、何とか言い訳すべく、保護者の関心を他にそらす目的で、甲の主導のもとに、警察官から暴行を受けたという虚構の事実を捏造したものと推定されるから、甲らの供述は信用できない旨主張する。
たしかに、関係証拠によれば、甲は、本件の付審判請求事件の審理の際、実際には自分で体験したことではなく、本で読んだ事柄であるにもかかわらず、自分の経験であるかのような表現で、警察官が、交通違反の取調べの際に、警棒で殴ったり、椅子を蹴ったりするなどと供述していることが認められることや、阪神タイガースファンらの街頭での祝勝騒ぎで、多数の不法事犯が発生していることを知りながら、その騒ぎをおもしろがり、敢えて祝勝騒ぎに加わるつもりで、わざわざ同球団の旗を車に付け、同球団の法被や帽子を用意するなどして出掛けていることに照らし、規範意識が強いとは思われないことも併せ考えると、甲は、平素から、警察官に対し好感をもっていなかったと認めることができる。そして、折角、祝勝騒ぎに加わるつもりで、そのための用意をして出掛けて来たにもかかわらず、梅田到着直後に職務質問され、警察署へ任意同行されたため、騒ぎに加わることが全くできず、乙の両親まで呼び出されたことから、甲の警察官に対する感情は反感に変り、これを募らせつつあったものと認められる。また、祝勝騒ぎに伴い不法事犯も発生している場所へ、その騒ぎに加わるつもりで、午後一〇時ころという遅い時刻から出掛け、しかも、飲酒していたにもかかわらず自動車で行ったということは、十分非難に値する行為であり、かつ、乙の父親は、果物仲卸業を営んでおり、仕事柄朝が早いにもかかわらず、深夜、警察署まで身柄引受に出頭せざるをえなくさせたのであるから、乙や甲が、その両親等の保護者から叱責されることがあっても、何ら不思議はないと考えられる。
しかし、関係証拠によれば、甲と乙は、会議室で事情を聴取された後、曽根崎警察署二階へ連れて行かれ、同階の交通事故係の部屋で、乙は、午後一一時二〇分ころまでに飲酒検知を受け、その結果、呼気一リットルにつき0.2ミリグラムのアルコールしか検出されず、道路交通法の罰則規定に該当しなかったことから、警告措置のみで処理されたことが認められ、また、梅田へ行ったことについても、乙の両親は、午後一〇時ころ、その自宅前で、乙と甲が自動車で遊びに出掛けるのを見て、それを容認していることが認められることに照らすと、乙は、酒気帯び運転をしたことや、遅い時間帯に梅田まで遊びに行ったことについて、その両親から叱責されるにしても、それほど強く叱られる恐れはなかったと考えられる。他方、甲については、関係証拠によれば、乙の父親が運転する自動車で、自宅のある団地の前まで送ってもらい、午前一時ころ帰宅したのであるが、既に母親は眠っており、曽根崎警察署からは何の連絡もされていないことが認められるから、甲は、翌朝、母親に前夜の出来事を黙ったまま出勤すれば、夜遅く帰宅したことを多少叱られるようなことがあるにしても、警察署へ任意同行されるようなことをしたことを母親に知られることはなく、帰宅が遅い位のことで、母親の叱責を恐れることもないと考えられる。しかも、自動車を運転していたのは乙であり、警察署まで身柄引受のため出頭したのも乙の両親なのであるから、保護者の叱責を恐れるとすれば、甲よりも乙の方であることは明らかであるが、その乙についても、前記のとおり、叱責されるのをそれほど恐れなければならないような状況ではなかったことを併せ考えると、甲についてはもちろん乙についても、保護者の叱責を免れるために、その注意を他へそらす必要があったとは考え難く、ましてや、翌日になり、その日の仕事等を始めてしまえば、その後になって、保護者が、くどくどと前夜のことを持ち出して、甲や乙が恐れなければならないほど強く叱責する蓋然性は、更に乏しかったというべきである。ところが、関係証拠によれば、甲は、任意同行された翌日、一旦出勤した後早退して、行岡病院で受診し、その際、整形外科の医師に対しては、昨日、警察官数名に取り囲まれ、どつき回され、投げ飛ばされた旨話し、耳鼻科の医師に対しては、昨夜叩かれた旨話しており、更に、整形外科医の助言により、同日、新聞各社に電話をかけて、曽根崎警察署の警察官から暴行されて負傷した旨通報しているほか、翌六日には、母親らと一緒に、海川道郎弁護士を訪ねて、損害賠償と暴行を加えた警察官の処分を請求することについて相談していることが認められる。そうすると、叱責される恐れがないと考えられる甲が、所論のいう虚構の事実を捏造するために積極的に行動し、同人よりも叱責される可能性が大きい筈の乙は、虚構の事実を捏造するための積極的な行動をほとんどしていないことになり、所論のいうような理由から虚構の事実を捏造しているとするのは、いかにも不自然である。
また、所論のいうように保護者の注意をそらすために虚構の事実を捏造するとすれば、甲と乙は、叱責されそうな状況に至る前、すなわち曽根崎警察署からそれぞれの自宅に帰るまでの間に、何をどういうふうに話すかということについて、他の者に聞かれないような状況のもとで打合せをしなければならない筈であり、かつ、その打合せは、報道機関への通報以前にしておかなければならない筈であるが、関係証拠によれば、甲と乙が曽根崎警察署に任意同行されてから、乙の両親が出頭するまでの間は、そのような打合せをする機会がなかったことは明らかであり、乙の両親が出頭してから後も、帰宅するまでの間、両親は、帰りの自動車内はもちろん同署庁舎内においても乙のそばにおり、甲と乙が二人だけになったのは、同署二階から一階に降りるエレベーターの中だけであることが認められるのであるが、エレベーターで二階から一階へ降りるまでの僅かな間に、二人がメガホンで叩かれ、更に、甲が、平手で殴られたうえ、大外刈り様の技で投げられたことにしようと話し合うことが可能であったとは考え難い。そして、翌日である一一月五日の午前中にそれぞれの自宅または職場から電話で連絡を取り合って、そのような打合せをすることは困難であると考えられ、それ以後は、保護者から叱責される恐れは、特に甲については、ないに等しいと考えられるにもかかわらず、敢えて虚構の事実を捏造するための打合せをしたとも考え難いというべきである。
以上説示したとおり、保護者から叱責されるのを免れるために、虚構の事実を捏造したという所論は採用できない。
たしかに、前記のとおり、甲が、警察官に反感を抱いていたことは認められるのであるが、所論のように強い反感を常に抱いていたとまでいえるかは疑問であるところ、甲が、警察官に対し反感を抱いていたとしても、警察署に任意同行されたため、祝勝騒ぎに参加できず、被告人らが供述するように、警察官から、いろいろ質問ないし説諭され、メガホンを軽く頭に当てられたからといって、その程度のことを理由に、乙の協力を求めたうえ、医師に嘘を言い、新聞各社を騙し、弁護士に依頼してまで、警察官を陥れようとするかは疑問である。
ところで、仮に、甲らが、虚構の事実を捏造したとすれば、全くありもしないことを実際にあったかのように装うよりは、実際の出来事に基づいて、それを故意の行為であるように話したり、大げさに言ったりする方が容易であり、しかも自然らしさを装うこともできると考えられるところ、本件においては、甲らの供述にいうメガホンでの殴打、甲に対する耳付近の殴打および大外刈り様の技による投げ倒しは、それぞれ、被告人らの供述にいうメガホンを当てた行為、Bが甲を避けようとしたとき手が同人に当たった出来事および同人が被告人を押して行き尻餅をついたことを基にしていることになる。しかし、関係証拠によれば、当時会議室にいた警察官のうち、眼鏡をかけていたのは被告人とHのみであることが認められ、甲らは、各警察官の名前を知らないため、その識別を体格や眼鏡の有無、風貌等により行っていた筈であるところ、甲らが、実際にあったことを基に事実を捏造しているとすれば、眼鏡をかけていないBと眼鏡をかけている被告人とを混同していることになるのであるが、被告人らの供述によれば、被告人は、甲に対しては、その頭に軽くメガホンを当てたり、同人が押して来るのを肩に手を当てて止めようとしながら後退したりしたほかは、何もしていないのに対し、Bは、甲に頭突きされると思い、身をそらして左手を振り、その手の甲が同人の左耳付近に当たったところ、同人が、「警察官が暴力を振るうてもいいんか」と抗議して、なおも向かって来るため、その体の向きを変えさせ、後ろから抱きかかえたというのであるから、甲にとっては、自分に暴力を振るった警察官としては、Bの方が印象に残っていると考えられ、かつ、耳の傷害は、同人の行為が原因であるということになるにもかかわらず、同人と被告人とを混同して、被告人が故意に殴打したように脚色して述べる理由は見当たらないといわざるをえない。
2 所論は、甲および乙は、毎日放送の取材に応じて、甲が被告人に殴打され投げられたという状況を、甲が本人役をし、乙が被告人役をして実演して見せ、それがMBSナウという番組で放映されたところ、そのときに甲らが実演して見せた状況と、同人らが原審公判で供述した内容とは異なっていることや、同人らが供述するような態様では、被告人が甲の左耳付近を殴打することはできないこと、同人が、大外刈り様の技で投げ倒されていれば、もっと重大な傷害を負っている筈であることに照らしても、同人らの供述は信用できない旨主張する。
たしかに、甲および乙は、原審公判において、被告人は、右手を右斜下から左斜上に突き上げるような感じで振って甲を殴打し、同人の両肩を持ち、引き手もせずに、右足で同人の右足を刈るようにして投げ倒した旨供述しているのであるが、関係証拠によれば、昭和六〇年一一月二〇日にテレビ放映されたMBSナウという報道番組では、甲と乙が、毎日放送の取材に応じ、乙が警察官役をして、甲が殴打され投げられた状況を演じていることが認められるところ、これによれば、警察官は、右手をほぼ水平に振って殴打しており、また、投げる際も、右手で甲の左襟付近を持ち、左手で右袖を掴んで、右足を刈っていることになり、甲らの原審公判供述とは暴行態様が異なっていることは、所論指摘のとおりである。しかし、この点について、甲は、原審公判において、毎日放送の取材の際は、警察官から殴打され投げ倒されたということを、視覚的に説明するために演じただけであり、その際の手足の位置や動きの方向まで厳密に考えて再現したものではない旨供述しているところ、右報道番組で、同人が再現した暴行態様というのも、特殊のものではなく、ごく普通のものであることに照らし、同人が、右取材に応じた際、殴打され投げ倒されたときの動作の細かな点までが、将来問題になるとは考えず、手足の位置等を厳密に再現しなかったとしても、それは、それなりに、右のような再現をしたことの説明として了解できるところである。また、殴打したり投げ倒したりしたというのが、所論のとおり、警察官を陥れるため、甲らの意図的に捏造した虚構の事実であるというのであれば、その意図を貫徹するために、終始一貫して同一態様の暴行を主張供述し続けるのが普通であると考えられ、むしろ、本件において、テレビ取材のときとは異なる暴行態様を供述しているのは、意図的に虚偽の事実を捏造してまで供述しているのではないことをうかがわせるものというべきである。従って、甲らの供述が、毎日放送の取材の際に演じた内容と異なっていることを理由に、その信用性を否定することはできない。
次に、被告人が、右手を右斜下から左斜上に突き上げるような感じで振って甲を殴打したという供述は、要するに、下に垂らしていた右手を、振り被ることなく、そのままいきなり下から斜上に上げる形で振って殴打したということを供述していると理解され、そのような方法で右手を下から斜上に振って人の左側頭部を殴打することは十分可能であると考えられる。
更に、大外刈り様の技をかけて会議室のコンクリート床に投げ倒した場合、投げられた者が皆、所論のいうような重傷を必ず負うとはいえないうえ、甲は、柔道の教科書どおりの大外刈りを相当の勢いをもって決められたというのではなく、また、被告人が、引き手を持っていなかったとはいえ、投げるときには甲の両肩を持っていたことに照らすと、同人が投げ倒されたことにより頸椎捻挫の傷害を負うに止まり、それ以上の傷害を負わなかったとしても、それが不自然であるということはできないから、甲らの供述のうち、被告人に投げ倒されたという部分は虚偽であり、ひいては甲らの供述全体も信用性が疑わしいということはできない。
3 所論は、甲らの供述について、右のほかにも信用できない部分があると主張するところ、たしかに、同人らが、梅田へ向けて出発するまでの飲酒量は、曽根崎警察署での飲酒検知結果に照らすと、同人らが原審公判で供述する量よりも多いのではないかと考えられ、梅田へ行った目的についても、同人らは、単なる見物であるかのように供述するのであるが、祝勝騒ぎに積極的に加わる意図があったと認定するのが相当であって、これらの点においては、同人らの供述をそのまま信用することはできず、これらの点に関する原判決の事実認定も首肯できないといわざるをえない。しかし、飲酒量については、甲らの供述をそのまま信用することができないとしても、飲酒検知結果に照らすと、実際の飲酒量と極端に異なる供述をしているわけではなく、かつ、飲酒量や梅田へ行った目的は、本件解明のための核心部分ではなく、そのような事柄について、多少信用し難い箇所があるからといって、直ちに、同人らの供述全体が信用できないことになるものでもない。
4 また、これらのほかにも、甲らの供述と、被告人らの供述とが異なり、そのいずれが正しいかを確認するに足りる客観的な証拠がない事柄も種々存するのであるが、そのようなことを考慮に入れても、後記のとおり、被告人らの供述が、全体として信用性の乏しい内容であるのに対し、甲らの供述の方が、はるかに自然な内容であり、信用できるというべきである。
すなわち、関係証拠によれば、乙は、ナビオ阪急前で、被告人から職務質問された際、運転免許証を携帯していない旨述べていたにもかかわらず、乙が、会議室で机の上に阪神タイガースの応援用具等を置いたときには、その中に同人の運転免許証も置かれていたことが認められ、この事実によれば、同人は、ナビオ阪急前で職務質問されたときには、身元を隠そうとして運転免許証不携帯を装ったものの、警察署まで任意同行されたことから、素知らぬ顔をして運転免許証を机の上に置いたものと認められるところ、当然、被告人も、乙が、一旦身元を隠そうとし、その後態度を変えたことに気付いた筈であり、祝勝騒ぎを煽るような格好で梅田に来た同人らが、右のような姑息な手段を弄するのを見て怒りを覚え、思わずメガホンで頭を叩いたとしても、それは、ことの是非はともかく、行為自体としては、実に自然な感情の発露であって、動機としても十分了解可能である。そして、関係証拠によれば、甲は、会議室で被告人らから住所氏名を尋ねられても、それを明そうとせず、携帯していたバッグの中を見せることも渋り、更に、その中にあった財布に入れていた運転免許証も素直には見せなかったことが認められ、そういう態度をとっていた甲が、正座を命じられるや、膝が悪いことを口実に拒否したため、被告人が、立腹して、平手で殴打し、大外刈り様の技で投げ倒したというのも、乙の場合と同様、行為自体としては、まことに自然な経過であると認められる。特に、右の事実が捏造であり、正座を命じられたということも虚偽であるとすれば、甲らは、正座を命じられ、それを拒否したというような脚色をしなくとも、端的に、前に出され殴打され投げられたと供述すれば足りると考えられ、殊更に、正座を命じられたという話まで捏造する必要はないにもかかわらず、同人らが、右のとおり供述するのは、実際に、そのような事実があったからであると考えるほかない。
これに対し、被告人らの供述によれば、甲は、ナビオ阪急前で職務質問を開始したときから、酒に酔っていると感じられる状態であり、曽根崎警察署まで歩いて行く途中でも、酔いのため身体がふらついており、同署六階で便所に行ったときも、廊下に唾を吐いたり、身体がふらついたりしていたというのである。そして、警察官に対しては、ナビオ阪急前では、大声で「お前ら何や」などと怒鳴り、任意同行にも素直には応じず、会議室でも、素直に椅子に座ろうとせず、住所氏名を明さず、被告人やBに対し向かって行くなど、終始反抗的な態度を示していたというのである。
しかし、甲が、被告人らが供述する程度に酒に酔っていたかについては、甲と一緒に飲酒しており、ほぼ同じ程度の量の酒を飲んだと思料される乙の飲酒検知結果に照らすと、疑わしいというべきである。仮に、甲が、被告人らが供述するとおり、酒に酔っており、かつ、被告人らに対し反抗的な態度を示していたとすれば、被告人の甲に対する態度は、はなはだ不自然であるといわなければならない。すなわち、被告人らは、祝勝騒ぎに対する警戒警備に従事していたものであるが、警備活動の最前線に立つ警察官は、接触する相手の中には、警察官に対する反発や反感をもつ者も多いため、その対応には細心の注意を払わねばならず、いたずらに有形力を行使することは、却って、相手につけ込む口実を与え、警備活動を困難にする結果となるだけであるから、常日頃から、そのようなことがないように教育訓練を受けていることは、所論のとおりであり、被告人も、右のような教育に従った対応をしたという趣旨の供述をしているところ、甲は、酔って反抗的な態度を示していたというのであるから、同人に対しては、いたずらに刺激するような言動を避けるべきであり、当然、そうしている筈であるにもかかわらず、被告人は、メガホンを甲の頭に当てたり、阪神ファンでもない者が、阪神の優勝に浮かれて、どこでただ酒でも飲んで来たんやというようなことを言って、同人を刺激し挑発するようなことをしたり言ったりしたというのは、いかにも不自然である。
また、関係証拠によれば、会議室には、四ないし七名の警察官がいたと認められるのであるが、甲が、多少警察官に反感をもっていたとしても、警察署の庁舎内の一室で警察官にいわば取り囲まれた状態であるにもかかわらず、被告人およびBに二度にわたって向かって行くというのも、考え難いことである。
更に、関係証拠によれば、甲は、乙が飲酒検知を受けている間、会議室を出て曽根崎警察署二階の会計課前の長椅子に横になって待っていたものであるが、その長椅子に横になる前に、Hに対し、長椅子で横になっていても良いかということを普通の口調で尋ね、その承諾を得てから横になったことが認められるところ、関係証拠によれば、甲が六階の会議室に入ったのは午後一〇時五〇分ころで、二階に降りたのが午後一一時五分ころと認められるから、この間、約一五分しか経過していないにもかかわらず、それまで会議室では、反抗的な態度に終始していた同人が、二階では突然、警察官に対し、反抗的な態度を見せるどころか、礼儀正しい態度を示すというのは理解し難いことである。
そしてまた、甲が、自分で尻餅をついたということについても、関係証拠によれば、原判決が補足説明の項の二3において説示するとおり、同人の左膝には古傷があることを考慮しても、その日常生活に照らせば、突然、腰くだけのようになったり、膝崩れが生じたりして尻餅をつくとは考え難いところ、被告人の供述によれば、甲は、尻餅をつく直前は、胸を前に出して被告人を押している状態であり、これを被告人は押し止めながら後退していたというのであるから、当然、甲は、体重を前にかけていたことになる。そうであれば、被告人が、体の位置を入れ替えるために、体を開いたことにより、甲が身体の平衡を崩したにせよ、または、被告人の行為とは無関係に膝崩れが生じたにせよ、甲は、前方に倒れるか、その場に膝をつく形になると考えられるのであって、被告人らが供述するように、その場に尻餅をつくとは考えられない。
以上のとおり、被告人らの供述は、全体的に不自然であり信用し難い。
5 なお、所論は、Bが振り払った左手の甲が当たったことが、甲の負傷の原因である旨主張する。しかしながら、関係証拠によれば、甲が受けた外傷性鼓膜穿孔は、介達性のものであって、これは、鼓膜の内と外の空気圧に差が生じたとき、例えば、外耳道に圧力が加わったときに生じるものであることが認められ、被告人が、甲の左側頭部の耳付近を殴打したことにより十分生じるものであるところ、故意に殴打する場合と、思わず振った手が当たる場合とでは、その強さが相当異なっており、故意に殴打した場合の方が、耳に加わる力も強く、鼓膜穿孔が生じやすいと考えられるうえ、供述内容を全体的にみて、甲らの供述の方が信用でき、被告人らの供述が信用できないことは、これまで説示したところから明らかであり、Bの手が甲の耳に当たったということ自体が認め難く、ましてやそれが鼓膜穿孔を生じさせたとは認められないというべきである。
6 その他、所論の指摘するところに従い、記録および原審で取り調べた証拠を検討しても、甲らの供述の核心部の信用性に疑いを生じさせるような点は見当たらない。
四 以上説示したとおり、原判決には、判決に影響を及ぼす事実誤認はなく、論旨は理由がない。
(検察官らの控訴趣意について)
論旨は、原判決の量刑が軽過ぎて不当であるというのである。所論にかんがみ記録および原審で取り調べた証拠を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せ検討する。
本件は、警察官である被告人が、警察署に任意同行した被害者に対し、一方的に暴行を加えて左外傷性鼓膜穿孔の傷害を負わせたという事案であって、公権力を有する警察官が、警察署内で傷害を負わせるような暴行を加えた点を重視すべきであるところ、被害者が受けた肉体的苦痛はもとより、その精神的苦痛も決して浅くないと認められ、被害感情には厳しいものがある。そのうえ、本件は、大多数の真面目な警察官が、市民に信頼される警察を目指し、日夜勤務に励んでいるにもかかわらず、ただ一人の軽率な行動で、その努力を無駄にし、警察に対する市民の信頼を大きく失墜させたものであり、被告人に対しては十分な非難が加えられるべきである。それにもかかわらず、被告人は、信用し難い弁解に終始し、被害者に対する慰謝の措置はもとより謝罪すらしていないなど、本件についての反省の態度が見られないといわざるをえない。これらの事情を総合すると、被告人の刑事責任は重いというべきである。また、被告人の同僚警察官らが、揃って被告人の弁解に合せて信用し難い証言をしたほか、かかる事犯に対しては、より厳正な対応が必要であるにもかかわらず、曽根崎警察署の幹部らも、本件捜査に非協力的な態度をとるなど、警察組織を挙げて被告人を庇っている様子がうかがわれることはまことに遺憾である。
他方、被害者の傷害は、加療約一四日間程度であること、本件犯行が、当時の破目をはずした祝勝騒ぎ、悪質な不法事犯の多発という特別な状況と雰囲気のもとで、連日警戒警備の最前線に立っていた被告人が、これら騒動参加者らの心ない仕打に反感を募らせつつも、ひたすら忍耐心をもってことを処してきたのに、本件当日、騒ぎに参加する様相で警備警戒地区に現れた被害者の態度が、被告人にとっては不貞腐れた反抗的なもののように感じられ、一瞬自制心を失い、被害者に対し原判示の行為に及んでしまったという偶発的な犯行の側面があること、被告人は、平素は警察官として真面目に勤務しており、本件後は、再三部内表彰を受け、地域のボランティア活動にも積極的に参加するなどしているところ、表彰は、本件で被告人が告訴されたことを意識してなされているのではないかとの疑いを禁じえないところではあるが、表彰をする以上、それなりの勤務をしていることも否定できないと考えられ、そうであれば、被告人は、本件についての反省の態度が見られないとはいえ、自己の行為が警察に対する市民の信頼を裏切ったことを自覚し、勤務に精勤することで償おうとしていると認められること、本件で判決が確定すれば、法律の規定により、被告人が失職するという厳しい社会的制裁が予定されていることを考慮すると、被告人を懲役八月に処し、三年間その刑の執行を猶予した原判決の量刑が、軽過ぎて不当であるとまでは認められない。
なお、所論は、被告人が失職しても、過去の例に照らすと、大阪府警察本部は、被告人が本件犯行をしたことを認めず、その外郭団体に被告人を雇用させ、執行猶予期間満了後は、元の階級のまま再雇用するなど、全面的に支援することが予想されるから、被告人の失職が予想されても、それを社会的制裁として重視することは相当でない旨主張するのであるが、仮に所論のとおりであるとしても、それは、大阪府警察本部が行うことであって、一司法巡査に過ぎない被告人が、その意思によって、組織を動かして、そのような措置を講じるわけではなく、大阪府警察本部が、所論のような措置を講じるとすれば、本件刑事手続きとは別の場において、その是非を論じるべきであって、右のような予想を基に、被告人個人の刑事責任を論じるのは相当でない。論旨は理由がない。
(結論)
よって、刑事訴訟法三九六条により本件各控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官朝岡智幸 裁判官楢崎康英 裁判官笹野明義)